【告知】450周年記念の祭礼 女体神社「お日待ち」が行われます〜不思議な言い伝えを持つ北向きの神社の伝統行事〜先着100名に無病息災の「紅白もち」がもらえるよ
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「レイクタウン」のすぐ南に隣接する「草加市柿木町」。「プチ・地下神殿」を擁し「レイクタウン6・7丁目」の治水対策でお世話になっているほか「親水公園」や「産業団地」でも緩やかな繋がりを持つ、いわば「親切なご近所さん」的な街です。
今後は「東埼玉道路」インターチェンジも建設予定で、今後の超発展も期待されている「柿木町」の鎮守として戦国時代(織田信長の頃)からの長きにわたって見守り続けてきたのが「女体神社」さまです。
なんとこの度、その450周年を記念する「祭礼」が賑やかに催されると言いますから、これはもう行くしかありますまい!!
450周年記念の祭礼 女体神社「お日待ち」が2025年10月19日に行われます
「お日待ち(おひまち)」とは、日の出を待ちながら豊作や家内安全などを祈願する日本の民俗行事のこと。集落や仲間が集まり、一夜を明かして日の出を拝むことがその名の由来とされています。
現代では夜通し行われることは少なくなってきており、神社の境内で太鼓や神楽の披露が行われることもあります。
「女体神社」さんでも毎年行われてきたこの「お日待ち」、2025年の今年450周年を迎えると言うことで多くの人に来て・見て・楽しんでもらえるスペシャルな祭礼として催されると言うわけです!!
~つなぎ素がれ450年次世代に継ぎたい柿木の伝統~
場所:柿木町 女体神社
日時:10月19日(日曜日)
スケジュール:
10:00 お祓い、祝詞 玉串捧げ
11:00 体操と笑いのイベント(日本体操研究所 木下祐一様)
※大人から子供まで、笑いながら、健康になれる体操です。
13:00 紙芝居(benben 様)
※お神楽の演目をわかりやすく紙芝居にしました。面白くて、ためになります。
13:30 お神楽(2演目、各15分間、休憩15分)
15:00 終了
出店:うめだ商店、スターツ、WeBOX(魚釣りイベント)、ほうろう販売など
★「無病息災」の紅白餅等を(先着100様)にお渡しします。
★祭礼費を頂いた方全員に、450周年記念せんべいをお配りします。
ブログ主が最も注目するのは「お神楽」とその紙芝居
「お神楽(おかぐら)」とは祭礼において奉納される歌や舞のことです。
先着100名に無病息災の「紅白もち」&地元からの出店にも要注目!!
そして先着100名に紅白もち等が配られると言いますから、こりゃ欲しいですよね〜。
さらには、地元「柿木町」からは、コインランドリー・インドアゴルフ・サブスク洗車場でお馴染みの「WeBOX」さんによる魚釣りイベントや…
あの絶品グルメスポット「うめだ商店」さんも出店しております。
【草加市柿木町】「うめだ商店」100年前からの贈り物〜実力派カフェ&居酒屋が「越谷レイクタウン」からわずか3分にあるなんて!!
まさに柿木オールスターズですねこれは。
最後に当神社が「北向き」である所以=不思議な言い伝えをご覧ください
以下文章は草加市ホームページからの引用です。
広報そうか 第379号 昭和57年3月5日号難を救った不思議な力<21> 女体神社(柿木町)近年は市内にも高層建築が立ち並ぶようになったため、冬の澄みきった日でもあまり周囲に山を見ることはできなくなりました。しかし、まだ日本一の富士山と関東平野にそびえる筑波山は見られます。この筑波山の方向に向けて北向きに建てられているのが、柿木にある女体神社です。その昔、いわゆる戦国時代のころ、下総の国(茨城県)に豊田城という城がありました。ここの城主豊田氏は、筑波山の女体神社を信仰していました。そして、非常に徳が高く、やさしい殿様でしたので、領民からも慕われ、城下もたいへんにぎわっていました。ところが、この豊田城の近くにスキあらば城を乗っ取ってやろうという殿様がいました。豊田氏に気づかれぬよう着々と準備を整え、ある日、ついに豊田城に一気に攻め入ってきました。豊田氏の家来も、不意をつかれたとはいえ、そこは戦国時代のこと、必死になって城と殿様を守りました。また領民も、日ごろの恩返しはこの時とばかりに、敵軍にけん命にむかっていきました。しかし、準備の差は大きく、豊田城はとうとう敵の手に渡ってしまいました。殿様や奥方は、家来や領民たちの「ここで討ち死にしてもつまりません。どこかに安住の地を見つけてもう一度平和に暮らしましょう」という言葉に、とにかく落ちのびることにしました。敵軍の殿様は、城のどこを探しても豊田氏の姿がないことを聞くと、「草の根を分けても探し出して来い。生かしておいては安心できない」と家来に厳重に命じました。豊田氏の仕返しを恐れたためです。ところが、追ってが豊田氏の一行に追いつきそうになると、北の方から風が吹き、さらに雨や霧さえも伴って一行の姿をその中に包み込んでしまいました。とうとう追っ手は、一行を見失ってしまいました。
不思議な力で守られながら、豊田氏の一行は柿木に落ちのびてきました。そして、この柿木を安住の地と定めると、自分たち一行を守ってくれた女体神社に感謝し、筑波山の方向に向けて女体神社を建立しました。また豊田氏は、共に逃れてきた家来や領民と力を合わせ、この柿木の開拓の祖となったということです。現在でも柿木では、筑波山に代参を立てています。(注)女体神社は中根2丁目にもありますが、柿木町の女体神社とは信仰対象が異なります。
引き続きウォッチして参ります!!
(次のページ:「柿木町」にまつわるエトセトラ)
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