こだわりの「草加煎餅」工場の最深部でブログ主が見たものとは!? 今に息づく職人の知恵と工夫の結晶「草加煎餅丸草一福(そうかせんべいまるそういちふく)」工場潜入記
草加市は「越谷レイクタウン」とも境を接し、夏の花火大会や、例の「産業団地」という切っても切れない縁で結ばれた都市でもあります。
その草加市が誇る名産品こそ、「せんべい」と言えば「草加」、「草加」と言えば「せんべい」と言われるほどに、日本全国においても断トツの知名度を誇る「草加せんべい」。
もちろん当ブログの読者の皆様でも食べたことない!なんて人は、おそらく一人もいないでしょう。日本茶と一緒に食す「草加煎餅」の美味っさたら格別ですよね!!
「でもさあ、おせんべいって米粉を延ばして焼くだけなんでしょ?」とお考えの貴殿、チッチッチ、そうじゃないんだなあ!! 実は「草加煎餅」は職人の知恵と工夫が詰まった「食べる芸術品」なんですよ!!
と、偉そうに言うブログ主も実は少し前までは誤った固定概念を持った愚かな中年男性でございました。(懺悔)
そう「草加煎餅」の名店「草加煎餅草加煎餅丸草一福(そうかせんべいまるそういちふく)」さんに、その製造の一部始終を見せていただくその日までは…
What’s草加煎餅?実はそのルーツは農家の保存食だった!!
製造過程を知る前に、ちょっとばかし「草加煎餅」とは何ぞやをお勉強しましょう。
この「草加煎餅」そのルーツは江戸時代にまで遡ります。当時「草加」は江戸市民の米倉として重要なお米の産地でありました。
「草加柿木フーズサイト」など夢のまた夢のまた夢だったこの頃、付近の農家では、お米を粉に挽いて、蒸して、練って、ついて、薄く延ばして、塩をまぶして焼いたものを、おやつとして仕事の合間に食べておりましたとさ。
このおやつが、あるとき領内を巡視していた初代将軍「徳川家康公」の目に留まり「こいつぁ、台風とか地震とかきた時の保存食として良いじゃん!!(※意訳)」とえらくお誉めにあずかったそうな。
そのうち「草加」が「日光街道」の宿場町として栄えるようになるとブランド化されて、旅人にドえらい人気になったとな。
そんでもって「野田」(現在の千葉県野田市)あたりで醤油の生産が盛んになってくると、そいつを付けてみたところ、さらにイイ感じに美味しくなったというのが「草加煎餅」の由来でございます。