越谷レイクタウンの初期構想(1989年)と現在(2025年)を比較してみよう
今や年間5000万人が訪れる「レイクタウン」。
もちろんその殆どは「イオンレイクタウン」さんのお客さんな訳ですが、今まさに「水辺の再開発」として「レイクタウン」本来の魅力を高めるムーブメントが起きているのは、読者の皆様ならよくご存知の通りです。
しかし、何故に「レイクタウン」は「レイクタウン」と呼ばれるに至ったかご存知の方はそんなに多くはないでしょう。
どんな物事にもその始まりがあります。ここらでひとつ我が「レイクタウン」の「原型」を探ってみることにしましょう!!
1989年1月時点での「レイクタウン」構想は「水を治め、水を生かすウォーターフロント都市」

出典:広報こしがや 1989年1月1・15日合併号 表1より抜粋
おおっ「レイクタウン」がまさに「島」として描かれていますね!!
つまりこれこそ「レイクタウン」の名の由来。湖と共にある街のイメージですよ、これは!!!
計画時の調節池の面積:60〜70ヘクタール
そのテーマは、かつての「水郷こしがや」を再び『水』が中心とするまちへと復興させること。
単なる都市開発ではなく「水と人が共に生きるための哲学」を持ったまちを目指していました。「水を治め、水を生かすウォーターフロント都市」というテーマのもと、調整池や親水公園を組み込み、防災・環境・景観を一体化させた都市デザインを描いています。
つまり内陸型ウォーターフロント(湖)を治水対策=洪水への備えとしてバッファーとするアイディアは、35年以上も前に既に存在しており、また今現在進行中の「水辺の再開発」のアーキタイプも設計思想の一つとして内包されていたわけです。
※因みに「レイクタウン」は225.6ヘクタール
1990年1月時点での「レイクタウン」構想は「インテリジェント・シティ(高度情報都市)」へと発展
出典:広報こしがや 1990年1月1・15日合併号 表1より抜粋
えっ!?「レイクタウン島」の中央のビルが、なんか尋常じゃないほどグレードアップしましたよ!!
おまけにヨットハーバー的な「水上デッキ」すらも描かれております。
その重点整備地区として選定された「レイクタウン」は、内陸型ウォーターフロントの他にハイテクな使命を担うことになりました。
当時最先端といわれた「赤坂アークヒルズ」を参考に、住居・業務・商業・文化などが一体となった多機能複合型都市を情報技術で支えるという構想です。情報通信(通信網・コンピュータネットワーク)を都市計画に組み込む、日本でも先進的な試みでした。
そして現在〜2025年3月時点でのリアル「レイクタウン」
©️Google この地図に含まれるデータのプロバイダ:Airbus次の日付の画像:2005/10/1~2025/3/7 一部の表示画像は日付情報が不明です。
そしてこちらが現在の「レイクタウン」でございます。
1999年(平成11年)に事業計画が認可され、2008年(平成20年)に街開きへと漕ぎ着けました。
大相模調節池(SakuraLake)の面積:40ヘクタール
当初計画から「湖」の面積が半分ぐらいになり、湖に浮かぶ街ではなくなって、ついぞインテリジェントビルは結局建ちませんでしたが、代わりに(?)日本一の「イオンレイクタウン」さんがこの街のシンボルとなったのはご存知の通りです。
いかがでしたでしょうか?
ブログ主の所感は、まず「夢のある計画」ありきだなあという思いです。
その通りに実現するか否かは別として、スタート時の理念や思想は極めて大切です。
「レイクタウン」で言えば、計画当初の「水を治め、水を生かすウォーターフロント都市」というコンセプトがしっかりしていたからこそ今、水害にも強く、かつ水辺の魅力的な街として認知されているわけですからね。
そしてこの先何十年の「レイクタウンの大計」をどなたか見せてくださいよ〜とお願いしたいブログ主です。
続13「レイクタウン」の水辺の再開発〜水上デッキについに床版が架設されたよ〜待ちきれないので「メタバース」のバーチャル水上デッキに行ってみた件
これからも引き続きウォッチしてまいります!!
