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ひっそりと佇むパワースポット「柿木女體神社」

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世間に「パワースポット」という言葉が広まって久しいですが、ブログ主はその正確な定義を知りません。定義は知りませんが、そこに行くと心がすっきりと澄み渡る感じがするような場所のことをそう呼ぶのではないかと、ブログ主は勝手に解釈しています。

散歩で時折立ち寄る、越谷レイクタウンの南、草加市柿木町にある「女體神社」はブログ主にとってはそんな場所です。


越谷レイクタウンといえば、最寄りの代表的寺社仏閣は何と言っても「大聖寺」ですし、越谷全体を見渡すと「久伊豆神社」(注 ひさいずじんじゃ。くいずではりません。)がそれに当たります。それらと比べてこの「柿木女體神社」は知名度こそありませんが、ユニークなエピソードを持っています。

以下は草加市ホームページからの引用です。

広報そうか 第379号 昭和57年3月5日号
難を救った不思議な力

 

<21> 女体神社(柿木町)
近年は市内にも高層建築が立ち並ぶようになったため、冬の澄みきった日でもあまり周囲に山を見ることはできなくなりました。しかし、まだ日本一の富士山と関東平野にそびえる筑波山は見られます。この筑波山の方向に向けて北向きに建てられているのが、柿木にある女体神社です。
その昔、いわゆる戦国時代のころ、下総の国(茨城県)に豊田城という城がありました。ここの城主豊田氏は、筑波山の女体神社を信仰していました。そして、非常に徳が高く、やさしい殿様でしたので、領民からも慕われ、城下もたいへんにぎわっていました。
ところが、この豊田城の近くにスキあらば城を乗っ取ってやろうという殿様がいました。豊田氏に気づかれぬよう着々と準備を整え、ある日、ついに豊田城に一気に攻め入ってきました。豊田氏の家来も、不意をつかれたとはいえ、そこは戦国時代のこと、必死になって城と殿様を守りました。また領民も、日ごろの恩返しはこの時とばかりに、敵軍にけん命にむかっていきました。
しかし、準備の差は大きく、豊田城はとうとう敵の手に渡ってしまいました。
殿様や奥方は、家来や領民たちの「ここで討ち死にしてもつまりません。どこかに安住の地を見つけてもう一度平和に暮らしましょう」という言葉に、とにかく落ちのびることにしました。
敵軍の殿様は、城のどこを探しても豊田氏の姿がないことを聞くと、「草の根を分けても探し出して来い。生かしておいては安心できない」と家来に厳重に命じました。豊田氏の仕返しを恐れたためです。
ところが、追ってが豊田氏の一行に追いつきそうになると、北の方から風が吹き、さらに雨や霧さえも伴って一行の姿をその中に包み込んでしまいました。とうとう追っ手は、一行を見失ってしまいました。
不思議な力で守られながら、豊田氏の一行は柿木に落ちのびてきました。そして、この柿木を安住の地と定めると、自分たち一行を守ってくれた女体神社に感謝し、筑波山の方向に向けて女体神社を建立しました。また豊田氏は、共に逃れてきた家来や領民と力を合わせ、この柿木の開拓の祖となったということです。
現在でも柿木では、筑波山に代参を立てています。
(注)女体神社は中根2丁目にもありますが、柿木町の女体神社とは信仰対象が異なります。

※神社は通常、南向きか東向きで、北向きはほとんどないといわれています。

そんなに広くはないのですが、手入れが行き届いており、地元の方々の信仰の厚さが伺えます。
また、境内には草加市出身の小説家、豊田三郎の文学碑も建てられています。

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代表作の「青春時代」(後に「青春」に改題)の一節が刻まれています。
ここに出てくる「河」とは、女體神社のそばに流れる中川のことです。

とはいえ、この記事にかいてある神社の由来などは、後で知ったことです。
結局、なんとなく心が静まる。この「なんとなく」が大事なんだと思うのです。

もし、お参りすることがありましたら、手を合わせる折に上を向いてみてください。
大胆な龍画が描かれていますよ。