【大相模調節池の水位】 01/18 22:50現在 1.35m(これまでの最高水位4.27m)

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明けましておめでとうございます 2021「大聖寺」初詣&「柿木女體神社」初詣レポート

2021年明けましておめでとうございます。

読者の皆様、本年も宜しくお願い申し上げます。
毎年恒例ということで、投稿初めは大相模不動尊「大聖寺」「ナイヤガラの滝」初詣から参ります!!と、言いたいところですが、ことしのナイヤガラの滝花火は新型コロナの馬鹿野郎のせいで中止となってしまいました…

「ナイヤガラの滝」や甘酒や焼き鳥がなくても参拝者はやってきた!!

2020年12月31日11時50分 いつもの新春カウントダウンもなく、鐘付きをさせてもらうことも出来ず、甘酒の振舞いや焼き鳥の販売もない、ちょっと静かな異例の元旦ではありますが、それでもここ「大聖寺」には参拝者は既に列を作っていました。

ただし、例年ならば本堂から山門まで列がずらりと続くのですが、今年は3分の1程度の長さです。おなじみソーシャルディスタンスで間隔を開けてですから、正味なら4分の1程度でしょうかね。

列の最後尾に並び、年が明けて10分程度でお参りを終えることが出来ました。超スピーディー!!

当山では、参拝形式も「二礼二拍手一礼」ではなく「一礼」が推奨され、速やかにお参りすることが推奨されています。

「コロナ に気をつけよ!!そんでもって分散参拝よろしく!!」山門の左右に立て掛けられた看板がまるで「金剛力士」さまのセリフ(漫画で言う吹き出し)のように見えます。

あの歴史上の超大物にあやかった御礼に馳せ参じたブログ主

実は今年の元旦1番の初詣にいくか否かについては、少し迷っておりました。分散参拝も呼びかけられていますし、1月1日か2日あたりの日中にお参りしようかな〜なんて。

しかし、「2020年アクセスランキング」でも明らかなとおり、ブログのアクセスアップを祈願してそれをかなえていただいた御礼のためにも、コロナな日常の初詣を記録に残すためにも、深夜の参拝を決断したブログ主です。

「大聖寺」の由来と「徳川家康」のエピソード



天正18年(1590年)関東に入国した家康公は鷹狩をしつつ民情視察のため各地を巡り、天正19年(1591年)当山に宿泊されました。
その際に「ここは大いなる聖なる不動明王のいる寺だ」という事で大聖寺の寺号と寺領を賜りました。

また慶長5年(1600年)会津の上杉景勝を討伐するため会津に向かっていた途中、石田三成が挙兵していると情報が入り、下野小山(栃木県小山市)から引き返し、当山に寄り戦勝祈願を行いました。
当時の住職 定伝(じょうでん)は、家康公が奉納した太刀を護摩壇(ごまだん)の前に立て、西に倒れれば石田軍の負け、東に倒れれば徳川軍の負けと念じ祈願をした所、刀は西に倒れ、祈願どおり家康公が勝利しました。

そして、大きな理由がもう一つ。2020年は地元「越谷相模町郵便局」様の50周年記念として当山をモチーフにした風景印をデザインさせて頂いた、不思議なご縁について感謝を述べるための初詣でもあったんです。

「越谷相模町郵便局」の50周年を記念する新しい「風景印」が2020年4月1日に登場!! 〜 その制作の一部始終を公開 〜 そしてその作者はえっ?まさかのあの人!?

「草加柿木フーズサイト」工事の無事完了を祈って「柿木女體神社」へも初詣

さて「大聖寺」へのお参りを済ませたその後にブログ主が向かったのは、「草加市」の「柿木女體神社」。こちらは一昨年、昨年に引き続いて3回目の初詣です。

およそ「密」などという流行語とは無縁の静まり返った参道です。コロナだろうがなんだろうが、変わらぬ静寂が当社を包み込んでおります。

列に並ぶこともなく、現着したら即参拝です。それも神主様が一対一で「幣(ぬさ:わっさわっさと御祓してくれるアレ)」を垂れた頭の上に揮ってくださいます。

CS(customer satisfaction:顧客満足度)最高です!!

そしてまた、当社の由来も神秘的です。

広報そうか 第379号 昭和57年3月5日号
難を救った不思議な力


<21> 女体神社(柿木町)
近年は市内にも高層建築が立ち並ぶようになったため、冬の澄みきった日でもあまり周囲に山を見ることはできなくなりました。しかし、まだ日本一の富士山と関東平野にそびえる筑波山は見られます。この筑波山の方向に向けて北向きに建てられているのが、柿木にある女体神社です。
その昔、いわゆる戦国時代のころ、下総の国(茨城県)に豊田城という城がありました。ここの城主豊田氏は、筑波山の女体神社を信仰していました。そして、非常に徳が高く、やさしい殿様でしたので、領民からも慕われ、城下もたいへんにぎわっていました。

ところが、この豊田城の近くにスキあらば城を乗っ取ってやろうという殿様がいました。豊田氏に気づかれぬよう着々と準備を整え、ある日、ついに豊田城に一気に攻め入ってきました。豊田氏の家来も、不意をつかれたとはいえ、そこは戦国時代のこと、必死になって城と殿様を守りました。また領民も、日ごろの恩返しはこの時とばかりに、敵軍にけん命にむかっていきました。
しかし、準備の差は大きく、豊田城はとうとう敵の手に渡ってしまいました。
殿様や奥方は、家来や領民たちの「ここで討ち死にしてもつまりません。どこかに安住の地を見つけてもう一度平和に暮らしましょう」という言葉に、とにかく落ちのびることにしました。
敵軍の殿様は、城のどこを探しても豊田氏の姿がないことを聞くと、「草の根を分けても探し出して来い。生かしておいては安心できない」と家来に厳重に命じました。豊田氏の仕返しを恐れたためです。


ところが、追ってが豊田氏の一行に追いつきそうになると、北の方から風が吹き、さらに雨や霧さえも伴って一行の姿をその中に包み込んでしまいました。とうとう追っ手は、一行を見失ってしまいました。
不思議な力で守られながら、豊田氏の一行は柿木に落ちのびてきました。そして、この柿木を安住の地と定めると、自分たち一行を守ってくれた女体神社に感謝し、筑波山の方向に向けて女体神社を建立しました。また豊田氏は、共に逃れてきた家来や領民と力を合わせ、この柿木の開拓の祖となったということです。現在でも柿木では、筑波山に代参を立てています。

(注)女体神社は中根2丁目にもありますが、柿木町の女体神社とは信仰対象が異なります。

 

攻めの「大聖寺」と 守りの「女體神社」(ブログ主が勝手につけたキャッチフレーズです)

こういう由来であるからこそ、参拝する人たちは皆「親戚」のような距離感でアットホーム。

もちろん祈るは「草加柿木フーズサイト」の工事の無事。ここまで大きな事故もなく進捗してきた御礼も兼ねております。

続×15・越谷レイクタウンのすぐ南側の草加柿木産業団地は「草加柿木フーズサイト」〜(ん?思ってたのとちょっと違うけど)「レイクタウン6丁目」すぐ南の「親水公園」の優れた全貌が明らかに!

さあ、無事に初詣も済ませたことですし今年もまた「越谷レイクタウン」とその周りのエリアの皆様のご健勝を祈りつつ、頑張ってウォッチして参ります!!

(次のページ:初詣関連バックナンバー



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