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2020年1月10日「東方西口遺跡(ひがしかたにしぐちいせき)」の発掘調査現地説明会に行ってきました

2020年1月10日、晴天に恵まれた「東方西口遺跡(ひがしかたにしぐちいせき)」の発掘調査現地説明会に行って参りました。

ブログ主が訪れたのは、15時30分から開催の午後の部には寒空の下にもかかわらず、遺跡を生で見たい十数名程の参加者が集まりました。(ちなみに11時からの午前の部には、約30人ほどの参加があったそうです。)

まずは「東方西口遺跡」からどんなものが出土したのか見てみよう

前記事でご紹介した通り、この場所は「大相模保育所」の移設先なわけですが、もしやということで建設に先立ち試掘調査を行ったところ、井戸跡や板碑が発見されたと言うことです。

マライカバザールの道路向かいにも保育所ができるらしい

今回の現地説明会にあたり熱心に説明をしてくださった越谷市の職員の方。本当にありがとうございました。
詳しい説明は後ほどにして、まずはこの「東方西口遺跡」からどんなものが出土したか見てみましょう。

上の3枚は「板碑(いたび)」。粘板岩で作られた塔婆ですね。刻まれた文字の一部に「金箔」が残っています。

縦書きで「乙 文明十七年 巳 妙阿弥禅尼 八月十五日」と刻まれています。

文明(ぶんめい)は、応仁の後、長享の前の年号で、1469年から1487年までの期間(室町時代)。天皇は後土御門天皇。将軍は足利義政、足利義尚。

これらの「板碑」は、井戸がほぼ埋まった段階で埋められており、板碑自体の供養かあるいは井戸の供養が行われた物ではないかと思われます。

こちらは甕(かめ)、すり鉢、皿、土師皿(はじざら)などの日常雑器。

こちらは「漆器椀」。いわゆる漆塗りの木製のお椀です。劣化を防ぐために水に浸されています。

香炉と刀身だけの小刀。小刀も井戸跡から見つかったもので、こちらも井戸の供養あるいは小刀自体の供養の可能性も。

その他、破片もろもろ。

遺跡の出土品と聞いて、もっと朽ちている物を想像していたブログ主ですが、思ったよりも生々しく530年前の姿を留めていることにはちょっとばかり驚きました。

(次のページ:「東方西口遺跡」は一体「誰の遺跡」だったのか?