2020年1月10日「東方西口遺跡(ひがしかたにしぐちいせき)」の発掘調査現地説明会に行ってきました
「東方西口遺跡」は一体「誰の遺跡」だったのか?
この「東方西口遺跡」は「元荒川」の「自然堤防」の上に立地する室町時代から江戸時代にかけての遺跡です。
「自然堤防( natural levee)」とは、洪水を繰り返す河川の下流部で発達する、堆積物が作り上げた周りよりも少し高い土地のことです。
上の地図上の赤いマーカーが示す本遺跡の場所は。その北側を走る「元荒川」の氾濫によって作られた「自然堤防」の南の縁に位置します。
本遺跡よりも北側の「自然堤防」の上は(あたかも現在の「越谷レイクタウン」のように)水害に対しての安全地帯だったということで、そこに集落が形成されているのがわかります。
この集落の辺りは「旧東方村下組」と呼ばれ、この遺跡はその名主を勤めた「中村家」の所有地であったと考えられています。
ちなみに上の写真の右端奥に写るのが、その「旧東方村下組の中村家」(のご子孫のお宅)。現在「レイクタウン9丁目」にある「旧東方村中村家住宅」はこちらから移設された物です。