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越谷レイクタウンって何ですか?(吉川橋・中島橋付近)

越谷レイクタウンエリアとは何かを語る上で、どうしても登場するのが近くの河川です。
それは越谷レイクタウンの核である「レイク」こと大相模調節池が地域の治水(河川の氾濫を未然に防ぐ)を担っているかです。
ここ吉川橋、中島橋のあたりは、元荒川と中川が合流するポイントです。

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写真に見える橋は現在架け替え工事中の吉川橋です。中川を跨いでおります。

 


地図を見ていただくとわかりますが、この合流ポイントに西から注いでいるのが元荒川で、北から注いでいるのが中川です。どちらも大きな川ではありますが、超特大というわけではありません。

しかし、江戸時代に遡ると状況は全く違います。
元荒川はその名の通り「元」荒川であり当時は荒川の本流でした。中川(2km上流では大落古利根川)は利根川の本流でした。 荒川は「荒ぶる川」の意でまさに暴れん坊将軍、利根川は「坂東太郎」と異名を取る氾濫のエキスパート(現在も流域面積では日本一)だったのです。この両雄がタッグを組むのが越谷市と吉川市の境目だったのですからひとたまりもありません。今の洪水とは桁違いの氾濫が、大雨の時には度々発生するのですから想像を絶します。

あまりのひどさに頭にきていた江戸幕府は寛永六年(1629)に「利根川の東遷、荒川の西遷」と呼ばれる河川改修大工事を実施します。ブルドーザーもパワーショベルもダンプカーも無い時代によくもこんなことをやったなとつくづく思います。川も川なら人も人ですね。この改修のおかげで大体現在の河川の流れのアウトラインが決まりました。(利根川は銚子岬の方へ、荒川は入間川とか隅田川の方へ)

ここは怪獣大戦争跡地だったわけです。

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激闘を示す碑ではありませんが「荒川橋開通記念」という石碑がぽつんと立っています。
※荒川橋は今ここにはありません。ネットで調べると同名の橋は秩父にあります。

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碑の隣に現在は中島橋が元荒川を跨いでおります。

ご先祖様方のおかげでこの地域の水害はだいぶ減ったわけですが、それでも江戸時代以降、平成に至るまで時折河川の氾濫は起こってきました。そしてさらなる治水の為に、先達のスピリッツを受け継ぎ誕生したのが大相模調節池なのです。

歴史のロマンといってしまうのは簡単ですけど、昔の人は途方もないことを黙々とやり遂げていくもの凄さがありますね。見習わなければと思う今日この頃です。